「歴史でわかる科学入門」の「第6章 皇帝の侍医ーガレノス」まとめ

「第6章 皇帝の侍医ーガレノス」 の要約

時代は紀元後の古代ローマ時代となります。

1.ガレノス(129-210)について

・ローマ帝国で生まれた。幼い頃からずば抜けて頭がよかった。成功した建築家である父は、彼に教育を授け、医学の勉強に専念させた。

・医師となったガレノスはその優秀な腕前で次第に有名になり、ローマ皇帝の侍医になり、皇帝にも高く評価された。

2. ガレノスの医療について

・中心となるのは、体液のバランスを取るという考え(ヒポクラテス派同様)。

・ヒポクラテス派よりも解剖に強い関心を持ち、積極的に解剖を行った。ただし、古代では人体の解剖は嫌われたため、主に人間以外の動物を解剖し、その結果から人体の解剖学的構造についての情報を得た。

・全ての身体機能の中心にあるのが「プネウマ(無理矢理日本語に訳すとしたら「精気」)」であり、人体には3種類のプネウマが含まれており、それぞれの働きを理解することが重要だと考えた。

3種類のプネウマは、それぞれが重要な器官(肝臓、心臓、脳)と関連し、その機能や働きを強化し、力を与えると考えた。

この説は、それから1000年以上ものあいだ人々に受け入れられていった。

ただし、ガレノスがこの説を活用したのは、主に人間が健康な状態である時。患者の治療をするときはヒポクラテス派の4体液説を利用した。

3. ガレノスが大きな影響を及ぼした理由

・医学とは合理的な科学であるべきだと主張し、信頼性の高い知識を得るための最良の方法を探すことを重視した。実験や観察などの経験に基づく実務的な助言と幅広い思考を組み合わせるという方法が、後世の科学者である医師たちに支持された。

・ガレノスはアリストテレスを非常に高く評価し、彼と同様、森羅万象について精力的に探究した。また、アリストテレス同様、この宇宙が目的を持って設計されたと信じ、設計者である存在を称えた。その思想は、この世は唯一の神によって創造されたと信じるキリスト教徒に好ましく受容され、のちに「医聖ガレノス」との異名をとることになる。

第6章まとめと感想

・ガレノスは、医者は哲学者であると同時に研究者であろうとし、思想家であると同時に実験者でもあるべきだという信念をもって、それを実践した。それゆえ、後世の科学者たる医者と、思想家や宗教家どちらからも尊敬され、影響を与え続けた。

*感想

ガレノスは、アリストテレスやヒポクラテス同様、より広い視野で大局的な考え方を持って宇宙全体の真理に迫ろうという信念をもち、そのための方法として、客観的・物理的、つまり科学的な方法で実践した。

現代では宇宙の真理に迫るための思想を追求すること、科学的な理論を追求することは別のジャンルに分かれているので、古代ギリシャ・ローマの学者たちの思想や業績を学ぶことは大事なことかもしれないと思った。

参考文献 「歴史でわかる科学入門」(ウィリアム・F・バイナム著 藤井美佐子訳 太田出版)

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