「歴史でわかる科学入門」の「第7章 イスラムの科学」まとめ
ローマ帝国衰退後のイスラム圏の科学と科学者たちの紹介。
「第7章 イスラムの科学」の要約
1.ローマ帝国衰退後のイスラム圏の歴史
・4世紀の初めにローマ帝国は東西に分裂。330年、コンスタンティヌス皇帝は、東のコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に都を遷す。帝国の中心が現在の中東と呼ばれる地域に移っため、文化の中心も同様に移動し、学者たちも東の方に集まっていった。
・やがて偉大な預言者ムハンマド(570-632)の教えを信仰するイスラム教が興り、中東と北アフリカのほとんどの地域を支配するようになる。さらにはスペインやアジア各地にまで勢力を広げた。ただし、9世紀ごろのイスラム教の支配権は中東地域に限られていた。
2. イスラム圏の科学
・イスラム教徒の学者たちは、聖典「コーラン」だけではなく、ギリシャ語やラテン語で書かれた古代の偉大な思想家たちの著作を翻訳・研究した。アリストテレスとガレノスはイスラム圏でも高く評価され、採り入れられた。
・一方では、インドと中国の思想が中東を介して西洋に紹介された。中国の紙、インドで生まれた数学はヨーロッパの学問の発展に貢献した。
・イスラム圏では、上記のような東西にまたがる文化や学問の伝達だけではなく、独自の学問も発展した。特に天文学や医学は後のヨーロッパに大きな影響を与えた。学者たちの中でも天文学者のアル・トゥーシーとイブン・アル=シャーティル、医師のイブン・シーナーが有名。
・ヨーロッパの学問が停滞している300年以上もの間、イスラム諸国では科学や哲学の重要な研究がおこなわれた。その特徴は、先見の明のある賢い支配者によって研究が尊重されたこと。彼らは資金を援助するだけではなく、信仰する宗教を問わずに学者を受け入れた。
全てのイスラム人がそうであったわけではないが、自由で開かれた思想を持つ有力者が存在したおかげで、イスラム圏の科学や哲学が大きく発展した。
第7章まとめと感想
・4世紀からローマ帝国の中心が中東に移り、中東はアジアとヨーロッパの間に位置するので、それぞれの文化の橋渡しをする役割を果たした。さらには賢明な支配者たちの支援により学問が奨励され、独自に哲学や科学が発展した。
*感想
ヨーロッパが中世に入り学問の停滞時期にあった間、イスラムの科学を含む学問が進化した。この間、ヨーロッパはイスラム圏に遅れをとったという見方ができるが、一方では、この間のイスラムでの学問の発展によって、次の時代のヨーロッパでルネサンスが花開くことになる。
歴史の中のものごとやできごとをとらえる時は、ある一面だけ見るのではなく、多角的な視点が重要だと思った。
参考文献 「歴史でわかる科学入門」(ウィリアム・F・バイナム著 藤井美佐子訳 太田出版)