「歴史でわかる科学入門」の「第30章 原子のなかへ」まとめ

・19世紀の終わり頃、原子は単純な物質の最小単位ではないということが明らかになる。
・ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所の教授だったJ.J.トムソン(1856-1940)が実験研究で陰極線管を利用し始めた直後、原子の構成要素のひとつが発見され、1894年に「電子」と命名された。
・さらに陰極線管の技術的進歩をうまく活用した研究者がニュージーランド出身のラザフォード。
アーネスト・ラザフォード(1872-1937)
・トムソンのかつての教え子、やがてキャヴェンディッシュ研究所長の職を引き継ぐ。
・1890年代後半、トムソンとラザフォードはウランが放つ2種類の放射線を発見する。ラザフォードは、磁場で屈折したものをアルファ線、屈折しないものをベータ線と呼んだ。彼はその後も2種類の放射線について研究を続け、ウランだけではなく元素群全体が放射線を放出することがわかった。それらは「放射性元素」と呼ばれる。
・ラザフォードの実験は、原子の大部分が何もない空間になっていることを明らかにした。さらに、原子核が正の電荷を帯びていることがわかった。
・ラザフォードは現在では「原子物理学の父」とみなされているが、1908年にノーベル化学賞を受賞している。彼はずば抜けて優秀な学生や同僚を見出すのにも長けており、その中の何人もがノーベル賞を受賞している。
ニールス・ボーア(1885-1962)
・ラザフォードの弟子の一人(1922年ノーベル物理学賞受賞)。デンマーク出身。
・原子の質量のほとんどすべてが小さな核に詰まっているというラザフォードの仮説をもとに、1913年、「量子物理学」という新しい分野を応用して「ボーアの原始模型(原子構造論)」を作った。
・当時の科学者が手に入れられる最良の情報を活用して作られていた。しかし、説明しきれない疑問が残った。ひとつめは、原子核という狭い空間に正電荷の陽子が複数共存できるのはなぜか? 二つ目は、周期表にある原子の原子量が規則正しく増加しないのはなぜか?
ひとつめの疑問に対する答えは量子力学がさらに発展するまで待たなければならなかった。二つ目の疑問を解決したのはチャドウィック。
ジェイムズ・チャドウィック(1891-1974)
・ラザフォードのケンブリッジの同僚。
・1932年、原子量が1で電荷を帯びていない粒子を発見した。彼はラザフォードが命名した「中性子」と呼んだ。
・ラザフォードは中性子を陽子と電子が結合したものと考えていたが、実際はそうではなく、基本粒子のひとつであることがほどなく明らかになった。
・チャドウィックは、中性子とその働きの発見からわずか三年後、ノーベル物理学賞を受賞した。
・彼はサイクロトロン建設の資金が得られたリヴァプール大学に移り、そこで「原子核分裂」の研究をした。それを応用して生み出された原子爆弾開発プロジェクト(マンハッタン計画)のイギリス側のリーダーとなった。


