「歴史でわかる科学入門」の「第31章 放射能」まとめ

X線の発見から原子爆弾まで。

ヴィルヘルム・レントゲン(1845-1923)

・X線のもつ力を目撃した最初の人物。ドイツ人物理学者。陰極電管から発せられる物によって写真乾板が感光していることに気がついた。最初に撮影したX線写真は夫人の指輪をはめた手だった。彼は未知のものという意味を込めて「X線」と名付けた。

・X線はたちまち人気になった。1896年にはがん細胞を死滅させるために活用された。X線のもつ危険性についてはまだ正しく理解されていなかった。

アンリ・ベクレル(1852-1908)

・フランス人。蛍光の研究に取り組んでいた。

・実験に蛍光物質であるウラン化合物を使い、これがX線と同じように写真乾板に影響を与えることを発見した。彼は当初、X線の別の発生源を見つけたと考えた。

・1896年、自分が発見した放射線がX線とは振る舞いが異なることに気づく。この課題はパリの有名な物理学者夫妻が担うことになる。

ピエール・キュリー(1859-1906) マリー・キュリー(1867-1934)

・1898年、夫妻は1トン分のピッチブレンド(瀝青ウラン鉱)を使って作業している最中に手に火傷を負った。放射能のせいだった。夫妻は二つの新しい放射性元素を発見し、それぞれ「トリウム」「ポロニウム」と命名した。

・世界中の科学者がそれらについて研究し、ベータ線、アルファ線、ガンマ線が見つかった。

・ピエールが交通事故で亡くなった後、マリーは幼い子供二人の面倒を見ながら研究を続けた。

・元素の変換という古くからの錬金術師の夢は放射能の発見によって「ほぼ」実現された。なぜ「完全に」ではないのか。錬金術師は卑金属を金に変えることを夢みたが、放射能が実現したのはウランを鉛に変える、つまり貴重な金属を卑金属に変えることだから。

・マリーが発見したラジウムはがん細胞を死滅させることができたので、医療用として特に高く評価された。しかし、X線の場合と同じく、放射線の照射量が多すぎれば、がんを引き起こす原因となる。マリーも含めて初期の多くの研究者が放射能の影響で亡くなっている。マリーの娘のイレーヌも母と同じ分野でノーベル化学賞を受賞したが、母とおなじく血液のがんで若くして亡くなっている。

20世紀

・1905年にラザフォードが「放射年代測定法を提唱。放射性元素の半減期を利用して地球の過去の出来事の年代を決定する。

・放射線の放出にともなう莫大なエネルギーを活用する方法が研究されるようになる。

・1930年代後半、原子が粒子を吸収して別の元素になるときに発生する「核融合」の可能性をドイツとオーストリア出身の物理学者たちが示した。そのひとりがリーゼ・マイトナー(1878-1968)。彼女は水素原子二個が融合するとヘリウムになることについて考察した。また、水素がヘリウムに変わることが恒星の主なエネルギー源であることが明らかになった。

・1930年代、理論上は核融合爆弾(水素爆弾)の製造は可能だったが、実験室での実現は不可能だった。もう一つの方法「核分裂爆弾(原子爆弾)」の方が実現性が高かった。

・ナチスがヨーロッパ侵略を続け戦争の可能性が高まる中、ドイツを含む数カ国の科学者がひそかに破壊兵器の開発に向けて研究に取り組んでいた。

・イタリアの物理学者エンリコ・フェルミ(1901-54)は理想的な核分裂を起こす方法を明らかにした。フェルミは、ナチスに賛同していたファシスト政権から逃れるため、1938年にアメリカに渡った。この時期、多くの優秀な科学者や芸術家、思想家が祖国を逃れた。この頭脳流出の恩恵を特に受けたのがイギリスとアメリカだった。

・アメリカでは、多くの亡命科学者が極秘プロジェクト「マンハッタン計画」に参加した。この計画には史上最大級の予算が投じられた。結果、核爆発を起こせることは確信できるようになったが、危険すぎると懸念する学者もいた。

・1939年にイギリス、フランスがドイツに宣戦布告した頃、イギリスとアメリカの物理学者は、ドイツと日本の科学者が原子爆弾開発の研究を進めるだろうと考えた。だから連合国側でも同じことをしなければならないのだと、アメリカのルーズヴェルト大統領に手紙を書いた。そのなかのひとりがアインシュタインだった。彼もまたナチス・ドイツからの亡命者だった。

・ルーズヴェルトは学者たちからの手紙に同意し、マンハッタン計画は軍の主導で進められた。ソビエトはアメリカとイギリスの重要な同盟国だったが、共産主義であることからこの計画は秘密にされた。

・1945年、ドイツ、日本、ソビエトの原爆開発はあまり進んでいなかった。マンハッタン計画ではウランを使った爆弾と、人工の放射性元素であるプルトニウムを使った2種類の爆弾がうみだされた。小型の爆弾を使った実験がアメリカの砂漠で行われ、成功した。

・1945年5月8日にドイツが降伏したため、ヨーロッパに原爆が投下されることはなかった。日本はまだ戦いを続けており、アメリカの新大統領トルーマンの命令で、8月6日広島にウラン爆弾が投下された。日本はそれでも降伏しなかった。3日後、トルーマンは長崎へのプルトニウム爆弾の投下を命じた。この2回の原爆投下で約30万人が殺害された。そのほとんどが一般市民だった。

日本は降伏し、戦争は終わった。

・ソビエトとアメリカがたがいに抱いていた不信感は第二次世界大戦後も消えず、両国は冷戦へと進み、どちらも大量の核兵器を保有するようになった。両国の合意に基づき、長年をかけて核兵器の削減が進められているが、一方で核兵器を保有する国の数は増えている。

・マンハッタン計画中にわかった物理特性は、制御された状態でのエネルギー放出(たとえば原子力発電)に活かされた。

 

 

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