「歴史でわかる科学入門」の「第16章 上がった物はかならず‥ーニュートン」まとめ

偉大なるイングランドの科学者アイザック・ニュートン(1642-1727)について
「第16章 上がった物はかならず‥ーニュートン」の要約
1. 子ども時代〜30代
・生まれた時にはすでに父は亡くなっており、祖父母のもとで育った。彼は継父を含めて自分の家族があまり好きではなかったが、ずば抜けて頭が良かった。
・1661年、19歳でケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学し、研究に打ち込むようになる。
・1665年から翌年にかけて、イングランドでペストが大流行したため、大学が閉鎖された。この2年の間に彼は数学や光、力学など科学的な分野で驚くほど多くの理論をまとめ、論文を王立協会に提出した。
・さらには錬金術や神学にも関心を向けるが、これらの分野の研究は秘密にした。英国国教会の教義とは異なる考えを持っていたから。
・一方、彼の科学の分野の研究に関しては、幸いなことに大学内に有力な支持者がいた。そのおかげで彼は研究員として大学に残り、20年以上にわたって教授職を務めることができた。また、多くの論文を執筆し、彼の数学、物理、天文学に関する研究は次第に有名になっていった。
2. 40代ー「プリンピキア」について
・1684年、42歳の時、ニュートンのもとを天文学者エドモンド・ハレーが訪ねた。これにより、ニュートンは「プリンキピア」(自然哲学の数学的原理)の執筆にとりかかる。自然界に対するニュートンの見方が数式によって説明され、科学史上で有数の名著になった。
・「プリンキピア」には有名な三つの運動法則が書かれている。第1法則ー慣性の法則、第2法則ーニュートンの運動方程式、第3法則ー作用反作用の法則。
3. 50代〜晩年
・「プリンキピア」が天才的な著作と認められたことでニュートンの名声は高まり、造幣局の長官という高報酬の地位に就くことができた。この仕事のためにケンブリッジでの仕事は全て辞めてロンドンに引っ越した。
・「プリンキピア」を大幅改訂し、「光学」を出版した。
・科学者として初めてナイト爵に叙せられた。人付き合いでは問題が多々あったが権力には恵まれた。
第16章まとめと感想
・ニュートンは、著作「プリンキピア」で自らが発見した法則を宇宙全体に応用し、ガリレオなど多くの先人たちが追い求めてきた天上界(天文学)と地上界(物理学)をひとつの体系に統合した。
・20世紀になると、アインシュタインらによってニュートンの想定を超えたものが存在すると証明されることになる。
*感想
・現代の日本において理系の高校生が学習する数学と物理のほとんどがニュートンによって体系づけられている、すごい人だと思う。
・さらに、彼自身は、自分一人の業績ではなく、先人たちの研究から学んだからこその結果であるということを十分認識し、人にもそう説明しているところがもっと素晴らしいと思う。
参考文献 「歴史でわかる科学入門」(ウィリアム・F・バイナム著 藤井美佐子訳 太田出版)