「歴史でわかる科学入門」の「第15章 ”新しい化学”」まとめ

17世紀イングランドで活躍した二人の科学者、ロバート・ボイルとロバート・フックについて。

「第15章 ”新しい化学”」の要約

1. ロバート・ボイル(1627-91)

・アイルランドの貴族の家の生まれ。イングランドの名門イートン校で学び、さらにヨーロッパ各地で研鑽を積む。学びを終えてイングランドに戻った頃にはピューリタン革命の真っ最中だった。

・ボイルの一族は王党派と議会派に分かれており、ボイルは議会派に加わった。そこで知り合ったサミュエル・ハートリブの影響でまずは医学を学ぶがやがて化学に惹かれるようになる。

・ボイルの若い頃はデカルトとガリレオは毀誉褒貶あいなかばしていたが、ホイルはこの二人をじっくりと研究して自分の研究に役立てた。

・ボイルは宇宙にはなんらかの物質の基本単位があると考え、それを「粒子」と呼んだ。また、アリストテレスの四大元素説は正確ではないということを実験で証明した。金のようにそれ以上分解できない物質の存在も指摘した。

・ボイルは開かれた化学の重要性を主張し、考えを同じくする研究者たちのグループが集まって、1662年「ロンドン王立協会」が結成された。ボイルはここで指導的な立場にあり、知識の獲得に献身的に取り組んだ。

・ボイルが気に入っていた協力者のひとりが少し年下のロバート・フック。

2. ロバート・フック(1635-1703)

・ボイルと違って貧しい家庭の生まれだった。王立協会に雇われて会合のたびに実験を担当した。そのうちに実験装置の扱いに熟練し、装置を開発するようになる。自らも多くの実験を考案し、王立協会の会員たちに刺激を与えた。

・フックは顕微鏡を初めて有効に活用した研究者たちのうちのひとりだった。肉眼では見えなかった動植物や物体の構造を明らかにし、王立協会の会合では実演をした。同じ頃にオランダで顕微鏡学者として有名だったレーウェンフックからの報告も受けた。

・フックが1665年に出版した「ミクログラフィア」の観察画は大評判となった。スライスしたコルクの構造の単位を「cell」と呼んだ。この後「cell」は細胞を指す単語として定着した。

3. ボイルとフックの研究

・二人は改良型の空気ポンプを製作し、それを使って研究し、「ボイルの法則」(一定の温度の下での気体の体積が圧力に反比例する)を発見した。また、空気ポンプを利用してたくさんの気体の特徴を調べた。

・フックは科学のほぼすべての分野について考察した。ぜんまいじかけの懐中時計を発明したり、化石の起源や光の性質も調べた。運動と力の物理的性質についても研究した。

第15章まとめと感想

・ボイルは化学の分野で特に大きな功績を残し、「ボイルの法則」で有名。フックは顕微鏡観察の先駆者で「cell」の命名者として知られるが、科学全般の研究をした。

・じつはフックと同じ時代にフックと同じくイングランドで活動していた偉大な科学者がいる。それがアイザック・ニュートン。

*感想

・ボイルとフックはこれまで出てきた(ガリレオのような)先駆的な研究者たちと同様、自分の目と手で観察して実験し、自分の頭で考えて結論を導き出すというやり方を積極的に推し進め、それらを研究者同士で分かち合った。

・その結果、彼らは人類史上初めてという発見を数多く成し遂げ、彼らの時代、特にイングランドで、科学という学問が飛躍的に発展していったと思う。

参考文献 「歴史でわかる科学入門」(ウィリアム・F・バイナム著 藤井美佐子訳 太田出版)

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