「歴史でわかる科学入門」の「第12章 斜塔と望遠鏡ーガリレオ」まとめ
ピサの斜塔での実験で有名なガリレオ・ガリレイ(1564-1642)の生涯と功績について。
「第12章 斜塔と望遠鏡ーガリレオ」の要約
・イタリアのピサで生まれ、フィレンツェ近郊で育つ。父は音楽家。最初は医学を学び、ピサ大学に入学する。
・1592年、パドヴァ大学で数学と現代における物理学を教えるようになる。
・初期の研究対象は、物体の運動にともなう力だった(例:加速)。
・1609年、望遠鏡の存在を知り、自分で作ってみた。最初はわずかな倍率だったが、望遠鏡にすっかり魅せられた彼は、すぐに改良に取り掛かり、約15倍の倍率を実現した。
・さらに彼は、自作の高倍率の望遠鏡を使って天空を観察した。その結果、木星に衛星があることを発見した。その他にも数々の重要な観測を行い、「星界の法則(1610年)」という本に記したが、これが物議を醸すことになる。
・その後も観察を続け、ガリレオの観測結果は、月が地球の周りを回っており、地球も月も他の惑星もすべて太陽を周回しているというコペルクスの説が正しいことを裏付ける確かな証拠であると結論づけるにいたった。
・コペルニクスの著作は出版されてから70年近く経っており、かなりの数の支持者がいたにも関わらず、カトリック教会はこれを真実ではないとみなしていた。
・善良なカトリック教徒であったガリレオは、1615年にローマに行き、自分が発見したことを教えることを教会に許可してもらおうとしたが、認められなかった。1624年と1630年にも再度可能性を探ったが、だめだった。
・そこで彼は、コペルニクスの体系をあくまでひとつの可能性として慎重に提示することにして、3人の人物による会話という形式をとった「天文会話」を著した。こうしてガリレオは、宇宙についての新旧の説のどちらが正しいかを直接的に言わずに論じてみせた。
ガリレオは、教会当局からこの本の出版許可を得ようと必死に努力した。ローマの検閲官が決定を先延ばしにしたため、彼は独自に出版した。これを読んだ高位の聖職者たちが不快に思い、ガリレオは1633年に3か月にわたり宗教裁判にかけられ、有罪判決を受け、この本が誤りであることを認めさせられた。
・ガリレオは自宅軟禁に処せられるが、その後も研究に打ち込み、1638年に「新科学対話」を著した。ここで彼はふたたび落体の加速に着目し、数学を利用して加速度を測定する方法を明らかにした。
第12章まとめと感想
・自らの実験や観察によって現代の物理学や天文学の基礎となる発見をしたガリレオ・ガリレイ。カトリック教会が強い権力を持つ16-17世紀のイタリアで、論争や批判にさらされながらも自分の信念を貫いた。
*感想
・ガリレオ自身が敬虔なカトリック教徒であるにも関わらず、自分が研究して得られた結論は教会からは有罪とされるものだった。
この時の彼の葛藤は並大抵ではなかったと思う。しかし彼は「聖書は天国に行く方法を教えてくれるが、天空がどんな仕組みなのかは教えてはくれない」という信念を持ち、その通りに行動した。
・その後の彼の行動や苦難の人生は、周囲の状況をよく知ることでさらに興味深い事実・真実が得られるだろう。
・と同時に、ガリレオの勇気ある行動によって、科学は宗教に支配されるものではない、独立した学問であるという思想が強化されたと思う。単に科学の法則の発見だけではない、もっと大きな功績を果たしたのではないだろうか。
参考文献 「歴史でわかる科学入門」(ウィリアム・F・バイナム著 藤井美佐子訳 太田出版)