「歴史でわかる科学入門」の「第8章 暗黒を抜け出て」まとめ
ヨーロッパがキリスト教に支配された中世の科学の歴史。
「第8章 暗黒を抜け出て」の要約
1.西ローマ帝国崩壊(476年)から西暦1000年まで
・キリスト教がローマ帝国の国教となっており、聖書だけが重要とされた。何よりも神への信仰が重んじられたため、人間が手探りで真実を探求する必要はなく、古代の学者たちの文献を読みさえすればよいと考えられた。当然、科学者が活躍する余地はなかった。
・500年もの間、ヨーロッパは科学の暗黒時代となるが、実は技術革新も起きていた。作物の栽培方法や教会や大聖堂の建築技術は、当時の人々の望みにこたえるべく発達していった。
2. 西暦1000年代以降
・神学者トマス・アクィナス(1225頃ー74)は、キリスト教の思想にアリストテレスの科学と哲学を融合させた。
・大学という学びの場が生まれた。世界最古の大学ボローニャ大学は11世紀後半に創設され、その後次々とパリやオックスフォードなど各地で大学が創られた。大学には神学、法学、医学、学芸の4つの学部があった。
・中世の科学者の多くは医師か聖職者のどちらかだった。学位を持つ医師は現代の内科医で、外科医や薬剤師など大学以外で学んだ医療従事者とは区別された。
・人体解剖は1300年ごろから行われるようになる。学生たちに見せるために解剖学の教官が行った。
・14世紀にヨーロッパに黒死病と呼ばれるペストの一種が持ち込まれ、猛威をふるった。各地で黒死病患者専用の特別病院が設けられた。また、感染が疑われる病気が発生した場合に検疫が行われるようになる。
・ガレノスやアリストテレスの文献には黒死病に関する記述がなかったため、医者を含めた科学者たちは独自で対処法や解決法を考えなければならなくなった。
・ただし、新しい発想が歓迎される風潮はまだ一般的ではなく、破綻のない理論が求められたため、古代の思想家の著作を事典にまとめる作業が盛んだった。
第8章まとめと感想
・4世紀からヨーロッパがキリスト教に支配される時代がはじまり、当初は古代の学者たちの理論に倣うだけで良いとされた。しかし、日々の食物をたくさん手に入れるための植物の栽培方法、より立派な教会を作るための建築など、人々の切実な欲求から生まれた技術は着実に発展していった。
・黒死病が流行し、古代の学者に学ぶだけでは解決しないことがあるということに気づき始めた人々が、自分で人間や自然を観察し、解決方法を見出そうとする。しかし、世の中全体ではその方法はまだ主流ではなかった。
*感想
・中世は科学の暗黒時代といわれるが、まったく発展の芽がなかったわけではなかった。教会の力があまりに大きかったために表面には出てこないが、水面下では「観察し、実験することで真理を追求する人々(つまり科学者)」がじわじわと増えて育っていったのではないだろうか。本当のことを知りたい、疑問を解決したいという気持ち(欲求)は人間の本能と言っていいのではないだろうか。
参考文献 「歴史でわかる科学入門」(ウィリアム・F・バイナム著 藤井美佐子訳 太田出版)