フェルメール「地理学者」と地球儀の歴史
フェルメール「地理学者」に描かれている地球儀。いったいどんな時代背景があるのでしょうか。
フェルメール「地理学者」1669年
地理学者の周りにあるもの
この絵に描かれている地理学者は、地図制作の道具であるディバイダを手に持っています。
また、彼の背後にある棚の上には地球儀、その横の壁には地図がかかっています。
地球儀の正面は当時オランダ東インド会社が活躍していたインド洋に向けられています。
これらは、ヨーロッパの他のどの国よりも早く海洋貿易で繁栄した当時のオランダに人々にとって、非常に重要なものでした。
地球儀も地図も、17世紀のオランダ黄金時代を象徴するものの一つだったといえるでしょう。
ホンディウスの地球儀
フェルメールがこの絵に描きこんだ地球儀は、ヨドクス・ホンディウスが制作したものとされています。
ヨドクス・ホンディウス(1563-1612)
ホンディウスはオランダで活躍した地図製作者、出版業者です。
彼は最初、1600年に地球儀と天球儀をセットで作りましたが、絵に描かれているものは1618年に作られた第2版にあたります。
ちなみに、天球儀の方も、フェルメールは「天文学者」の中で描いています。
フェルメール「天文学者」 1668年
ホンディウスは1604年に「メルカトル図法」で知られるゲラルドゥス・メルカトルの孫から地図原稿を譲り受け、36図を加え大改訂を行ってメルカトル、ホンディウスの「アトラス」として出版。
これが大成功し、ライバルのオルテリウス家をはるかにしのぎました。
ちなみに、オルテリウスは1595年に日本地図を出版しています。
豊臣秀吉が天下統一した時代、オランダ人はここまで日本の地理を把握していたんですね。
地球儀の歴史
ここでもう少し視野を広げて、地球儀の歴史をたどってみますと、
紀元前150年頃に古代ギリシャの哲学者クラテスによって作られたものが最古とされています。
中世になると、古代ギリシャの伝統を受け継いだイスラムの世界で科学が発展し、天文学もまた大きく進歩しました。
その影響を受けて、ヨーロッパでも次第に科学が進歩するようになります。
現在、地球儀として保存されているもので最古のものは、ドイツの学者マルティン・ベハイムが1492年に作りました。
その後、大航海時代を経て、17世紀のオランダで航海と海洋貿易の需要により高度な技術が発達したことは先に述べたとおりです。
18世紀になると、地球儀の需要はますます高まっていきます。
啓蒙主義の時代となり、王侯貴族だけではなく、幅広い階層の人々がサロンや書斎、教育機関などで地球儀を必要とするようになりました。
制作された地球儀も、装飾がついた豪華なものから簡素なものまで、様々なものがありました。
18世紀中頃に描かれたポンパドゥール夫人の肖像画にも地球儀が描かれています。
カンタン・ド・ラ・トゥール「書斎のポンパドゥール夫人」
画面右端、書斎のテーブルに立派なものが置かれていますね。
ルイ15世の公妾であった彼女はサロンを主宰し、学者や芸術家たちを熱心に支援しました。
このように、古代からあった地球儀が、17世紀のオランダで、世界に先駆けて飛躍的に発展し、その後は世界中に広まっていったのです。
まとめ
フェルメールの「地理学者」は、そこに描かれている地球儀の歴史についてたどるだけでも、17世紀のオランダの繁栄がいかに群を抜いていたかがよくわかります。
本当に、17世紀オランダすごい。。。
でも、すごいのは地球儀と水車だけではありません。
これからも色んな角度で掘り下げていきたいと思います^^