ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」と風車

ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」を風車の発展の歴史から眺めてみます。いったいどんな関係があるのでしょうか。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の意味

ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」1876年 オルセー美術館

踊りや食事、会話を楽しむ人々でにぎわう野外のダンスホール。

そのお店の名前は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」でした。

ムーラン(moulin)とはフランス語で「風車」を指します。

ちなみにギャレット(galette)は「薄く丸いもの」、日本では「ガレット」と呼ばれる食べ物のこと。

このお店特製の名物でした。

だから「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は「ガレットの風車」というような意味になります。

ではなぜ、このダンスホールの名前が「風車」なのでしょうか?

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの由来

このダンスホールはモンマルトルの丘にありました。

1885年のムーラン・ド・ラ・ギャレット。

お店の敷地内に風車が建っていることがわかります。

19世紀半ばまでは、この辺りは畑や風車のある郊外の田舎の村でした。

トロワイヨン「モンマルトルの丘」1850年 ワシントン ナショナル・ギャラリー

しかし、産業革命の影響で、風力よりも蒸気が有力な動力源となります。

代々この地で製粉業を営んできたドブレー親子は、

風車だけを残して製粉小屋を舞踏場に改装しました。

いわゆるリノベーションということでしょうか。

そしてそれが大衆の新しい娯楽の場所として大人気になったのです。

動力の歴史から見た「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」

19世紀後半に、製粉の動力だった風車が本来の役目を終え、お店の目印や看板として生きることになった。

その事実をふまえてもう一度この絵を鑑賞してみます。

かつては製粉小屋だった場所で人々が楽しげに踊り歌い、語り合う。

科学技術の革命によって人々の生活が根こそぎ変わってしまうのだなあと、感慨深いものがあります。

世紀末の風車

この絵が描かれた13年後の1889年、同じくモンマルトルにダンスホール「ムーラン・ルージュ」がオープンします。

こちらは日本語では「赤い風車」という名前になります。

1914年のムーラン・ルージュ

ムーラン・ド・ラ・ギャレットと同じく、風車が目印に使われています。

こちらは赤いので遠くからでもよく目立ったと思われます。

また、このお店はロートレックのお気に入りでした。

ロートレック「ムーラン・ルージュにて」1892/95年 シカゴ美術研究所

ルノワールの健康的な世界とは違って、退廃的ですね。

二人の画家の個性の違いによるところが大きいのでしょうが、他にも何か理由があるかもしれません。

このもう一つの風車、ムーラン・ルージュについては

機会を改めて別の記事で書きたいと思います。

*画像は全てWikipediaより引用しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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