ロイスダール「ワイク・バイ・ドゥールステーデの風車」と風車(1)

今回は17世紀オランダの画家ロイスダールの「ワイク・バイ・ドゥールステーデの風車」を取り上げ、風車の歴史についてたどります。

ロイスダールの「ワイク・バイ・ドゥールステーデの風車」 1670年頃 アムステルダム国立美術館

風車と言えばオランダの風景と、すぐに思い浮かぶほどおなじみの組み合わせですね。

日本人からすると遠い国の景色、童話の中の風景のような牧歌的なイメージがありますが、当時のオランダ人にとってはきっとそうではないでしょう。

だとしたら、彼らにとってこの絵はどんな意味合いがあったのか。

風車の歴史をたどりつつ、そのあたりにも思いを馳せてみたいと思います。

風車の前は水車が使われていた

水車の利用は古代メソポタミア文明にまでさかのぼります。

シリアのハマにあるイスラム帝国時代の巨大な水車(Wikipediaより引用)

古代ギリシャ、ローマ時代になるとその規模は大きくなり、製粉所の動力として使われるようになりました。

8世紀から15世紀の中世ヨーロッパでは製粉だけではなく皮や麻の加工、鉄の鍛造、金属製品の研磨、製材など、様々な分野で利用されるようになります。

オランダの風車

風力もまた水力と同じように、古くから使われてきましたが、動力の装置としての風車が現れたのは9〜10世紀頃のペルシャでした。

そしてそれがヨーロッパに伝わり、16世紀のオランダで改良されます。

当時のオランダは「ネーデルラント(=低地の国)」と呼ばれていました。

その名の通り、国土のほとんどは平坦で、水車を回すような流れの速い川は少なく、その一方で、北海に面した沿岸地帯では強風がいつも吹いていたのです。

16世紀の発明家シモン・ステフィン

オランダでの風車の改良に大きな功績を残したのは数学者で発明家のシモン・ステフィン(1548-1620)です。

彼は風車に理論と計算を持ち込んで、より効率的な風車作りを目指しました。

例えば、一度に汲みあげる水の量が最大になるような容器の角度、最も効率的な回転速度やパーツのサイズなどを、理論と計算から導き出しました。

また、複数の風車を飛び石状に並べて設置することで、低地での排水が可能になり、干拓事業が大いに発展しました。

このおかげで農地の確保と食糧の安定供給が可能になりました。国の発展の土台です。

19基の風車が並ぶキンデルダイクの風景(Wikipediaより引用)

オランダの黄金時代の到来

次にオランダの当時の社会について目を向けてみます。

16世紀中頃のオランダはハプスブルク帝国の一部で、神聖ローマ皇帝カール5世とその息子スペイン国王フェリペ2世の支配下にありました。

左:ルーベンス「カール5世」1600-05年

右:モル「フェリペ2世」1560年

16世紀後半の50年間はスペインに対する反乱に費やされ、北半分がネーデルラント共和国として独立。

この時、南側の多くのプロテスタントたちが迫害を逃れてネーデルラントに移動しました。

これがきっかけとなり、世界一の経済大国オランダが誕生しました。

そしてこの動乱の最中に、先に述べた風車の改良と動力革命が進行していったのです。

次回はオランダの黄金時代と、本題の作品について語ります。

Follow me!