ターナー「雨、蒸気、速度―グレート・ウェスタン鉄道」と蒸気機関(2)
ターナー「雨、蒸気、速度―グレート・ウェスタン鉄道」と蒸気機関について、2回目は蒸気機関車の登場から始まります。
ターナー「雨、蒸気、速度―グレート・ウェスタン鉄道」(1)では蒸気機関の始まりからワットが画期的な改良をするまでを述べました。
この作品が描かれたのは1844年。
ワットが蒸気機関を改良して特許を取ったのが1769年。
その間、一体どんなことがあったのでしょうか。
蒸気機関のもたらした変化
当時のイギリスでは国内の輸送路として運河が利用されていました。
主な動力が水力だったため、工場は川沿いに建設されていたからです。
ところが蒸気の動力を得たことにより、内陸部や都市近郊に大規模な工場がたくさん建設され、都市は大きく発展します。
それに伴い、原料や燃料になる石炭、工業製品などを大量に安価に輸送するため、交通機関の改良が必要となりました。
蒸気機関車の登場
その頃、スズ鉱山の地元の有力者の息子であったリチャード・トレヴィシックは、ワットの蒸気機関の小型化、高圧化に成功しました。
リネル「リチャード・トレヴィシック」1816年
さらに、車両の上に小型になった蒸気機関を燃料の石炭と水とともに搭載し、自走させるという試みを思いつきます。
彼は軌道を走る蒸気機関車を開発し、1804年、10トンの鉄と5両の貨車、70人の客を乗せて16kmの走行に成功しました。
世界初の蒸気機関車の誕生です。
「蒸気機関車の図面 1803年
大気中に直接蒸気を排出することにより、復水器を使わなくて済むようになりました。
鉄道王スティーヴンソン
これに触発されたスティーヴンソンは、1814年に蒸気機関車「ブリュヘル号」を完成させました。
その後も鉄道の実用化のために機関車を改良し、レールについても研究を重ね、ついに1825年、「ロコモーション号」によって世界初の鉄道が開通されました。
発明した人ではなく、画期的な改良をした人の方が、多大な影響力を持って有名になるのは、蒸気機関のワットと同じですね。
別の見方をすると、偉大な発明や発見はただ一人でできるものではなく、多くの人々の努力と知恵の積み重ねがあってこそ成し遂げられるものなのでしょう。
ここからイギリスは「鉄道狂時代」に突入し、19世紀中頃には全国の主要都市はすべて鉄道によって結ばれることとなります。
グレート・ウェスタン鉄道
さて、絵のタイトルにもなっている「グレート・ウェスタン鉄道」。1838年に開通しました。
機関車の下に見えるメイデンヘッド橋は1839年に完成しました。
そしてターナーがこの絵を描いたのが1844年。橋が完成してからわずか5年後のことです。
彼はすでに69歳になっていました。
人を輸送する乗り物といえば馬車しかなかった時に、いきなり表れた蒸気機関車。
真っ黒で大きな車体と吐き出す煙と蒸気、遠くから恐ろしい勢いで迫ってくるスピード。
ターナーにとって、と言うより当時のイギリス人にとって、何もかもが生まれて初めて体験することで、子供のような驚きを感じたことは想像に難くありません。
この絵の極端な遠近法、ぼんやりした形、横なぐりのような雨やつむじ風のような空気と光の流れ、
その全てが、今まで見たことがないもの ー 色、形、音、スピード ー に出会った時の新鮮な感動を表現しているように思えます。
※掲載の図は全てWikipediaより引用しました。